帰宅したら、母が興奮して話しかけてくる。
何かと思うとNHKで宮沢賢治の番組をやっていたらしい。
話を今聞いているが…
宮沢賢治の作品、特に『銀河鉄道の夜』の世界を物理学的に解説するという内容らしい。
出演者も物理学者を交えた研究職の方達だったらしい。
メッチャ面白そう!見たかった!
これは兼ねてから(子供の頃から)気づいていたことで事あるごとに人に語っているのだが…
宮沢賢治その人は自然科学の学者であり、その知識その感性があるからこそのあの作品がある!
誰に話しても、ふーん、とか、あっそう、とか、ポカーン、だったりするのだが…
やっぱりそうだったんだ!と安心した。
例えば、幻想第四次、という表現ひとつとってもこれは明らかに相対論(アインシュタイン)の知識がなければ思い浮かばない表現だ。
*当時は今のような易しい解説本など無かったはずで、相対論の原論文やアインシュタイン自身が書いた素人向け解説論文を読んでいる可能性が高いと思う。
また物語終盤、南半球の”石炭袋”に銀河鉄道が突入する場面で親友との別れを迎えるが…
本来濃密な星間雲(星の誕生する場所)である石炭袋をブラックホールに見立てている可能性があるとのこと。
さらに親友と銀河鉄道に乗って延々旅を続けてきたが目が覚めてみると45分しか経過していないのは…
銀河鉄道が光の速度または亜光速で移動したために”地上”と”天界”での時間の流れ方が異なっているという説明もなされたらしい。面白い!
でも流石にこれは天上に旅立つ親友との精神世界を描いたと見た方が良いように思うけども。
…以上は、母からの伝聞で聞いた話で何処まで正しいかは不明。再放送を心待ちにしたい!
相対論は色々論点はあるが、根幹の一つは世界(自然)は基本4次元で成り立つ事を数学的に証明した理論だ。
というか、その前提のもとに理論が構築されている。
3次元空間+時間軸を合わせて4次元。
それまで観念上または便宜上の存在でしかなかった”時間”が、物理学的に確かに実態を伴う存在であることが証明されたという意味で極めて意義がある。
今ググってみると銀河鉄道の夜の初稿は1924年らしい。
対して特殊相対論の発表が1905年。一般相対論の発表が1915年。シュバルツシルトによってブラックホールの存在が提唱されたのが1916年。
またアインシュタインの来日が1922年。
この時、賢治も一石博士の講演を聴こうと希望したが叶わなかったらしい。
因みに博士は日本に向かう洋上でノーベル物理学賞受賞の報せを受けている。
つまり銀河鉄道の夜の発表前夜は、現代物理学で極めて重要な発表が立て続いた時期と重なる上に賢治自身も物理学への関心が高かったことの裏付けでもある。
物理学や自然科学、また賢治作品の世界観に関心のない方にはしょーもない話かもしれないが…
今僕はとても幸せな気持ちに包まれている!
*余談になるがタイタニックが沈没したのが1912年。
銀河鉄道の夜の作中には大型旅客船沈没のシーンも描かれており、当時のセンセーショナルな出来事をアレコレ取り入れた、実は結構な意欲作だったことが分かる。
*余談の余談だが、賢治の没年が1933年。
対して現代物理学のもう一つの柱である量子力学の大枠が完成したのが1929年頃とされている。
もし賢治がもう少し長生きしていれば、量子力学の大変含蓄のある概念を土台に想像の世界を大きく広げていたのではないか…と思うと少し残念な気持ちになる。
因みに…
賢治の自伝的作品”グスコーブドリの伝記”の作中では、当時の東北の貧困が色濃く反映された世界の中で、
賢治の自然科学者としての忸怩たる思いが主人公の生き様に反映されているが…
やはりその物語世界では、熱力学や統計力学の概念…さらに気象学、火山学といった地球物理学の概念が根幹にあると感じる。
とりわけ劇中に登場するクーボー博士の存在は激烈に印象に残っている。
グスコーブドリの伝記の発表年が1932年。
統計力学の世界的権威となる久保亮五の生誕は1920年。
もちろん関連はないだろうが、名前、専門分野ともに面白い偶然の一致だと思う。
コズミック フロント☆NEXT /NHK
「銀河鉄道からのメッセージ 宮沢賢治の宇宙論」
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=07631
画像はネット上で無料素材を拾いました。