”10年ひと昔”と世間では言うが、どうだろうか。
たとえば自分の10年前や10年後を想像してみた時そんなに今の自分と変わらないと思う。それは他の人も案外そうなんじゃないだろうか。しかし20年という括りでは事情が異なるように思う。
0歳と20歳、20歳と40歳、40歳と60歳、60歳と80歳
どの年代を切り取っても違いは明らかに大きい。
これが20歳と30歳、30歳と40歳、40歳と50歳、、、
という10年の括りだと、それがどうしたという位のものだ。
今日は「阪神淡路大震災」の日から20年の節目の時。
感覚としてはつい最近の出来事のようにも思えるけれど、やはり一人ひとりの人間にとっては長い時間なのだろう。特に被災された方々にとっては更に長い時間を過ごされたのかもしれない。
*阪神・淡路大震災 – Wikipedia
自然災害
20年前の私は精神的に未熟で(まあ現在も未熟だが)当時福岡に住んでいたこともあり、神戸の震災のことを”対岸の出来事”としてしか捉えることができなかった。
東日本大震災の時は日本中の人間がそうであったように私も絶望感に打ちひしがれ、空虚感で心が満たされた。
しかし、20年前の震災ではそれすらも感じることはなく、むしろ着々と進む街の復興を見て、同じ京阪神の人間として誇らしくさえもあった。今考えると完全な阿呆です。
自然災害である以上、この国では地震は何度でもやってくる。特に阪神型の地震は恐らく大きな予兆も無く突然に起こる。
住居としての建物を運営するとはどういうことか。それは全住人の生命と財産を預かるということである。
そのことを私は、父からバトンタッチされるちょっと以前から肝に銘じ、時々思い出しては身が引き締まるのである。
*東日本大震災 – Wikipedia
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