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MSXとベンチャー精神

January 10th, 2015

前々回記事のMSXについての補記です。

80年代当時、世界のPCの主流は既にIBMのPC/AT互換機でしたが、国内では各メーカー特にNECが独自規格を貫き、日本だけが世界の奔流から取り残される状態となりました。

*PC/AT互換機 – 現在のWindowsパソコンです。
PC/AT互換機 – Wikipedia

当時既に世界的大企業だった松下電器とSONYがPCの本流に乗らず、敢えて亜流と思われるMSXの分野に参入したのも、その辺の複雑な事情があったのかもしれません。

そしてその事は、PC/AT互換機のOSであるDOS等、ソフト開発を主な業務としていたMicrosoftにも該当するかもしれません。実はMSXはMicrosoftが日本のアスキーと共同で提唱した新しいPCの規格名称です。

DOS – Wikipedia
アスキー – Wikipedia

いずれにせよ、松下もSONYもMicrosoftも世界的大企業でありながら”世の流れに一石投じてやろう”というベンチャー精神の下に集い、結実した結晶がMSXだと私は思います。

MSXのその後

MSXは学生の学習用PCとして販売数を伸ばし、社会への貢献という意味で成功したと思いますが、過度の低価格路線が仇となったのか興業的に振るわなかったようです。

ゲーム機としての側面ばかりが大きくなりはじめ、90年代に入ると急速に衰退しやがて消滅してしまいます。

ps1

SONYはその後1994年に家庭用ゲーム機Playstaionを発表、1996年にはWindows機のVAIOを発表します。コンシューマーゲームとPCの両分野において既存の牙城を瞬く間に崩し、世界の雄となったことは周知の通りです。

Playstaion – Wikipedia
VAIO – Wikipedia

世間の目には”さすがソニー”と映ったと思いますが、開発計画や販売戦略の陰には、MSXで培った成功あるいは苦い経験が大いに発揮されたのではないかと私は睨んでいます。

如何なる製品開発の過程にも完成前のプロトタイプ機が存在すると思いますが、SONYを含む様々な同業社にとってMSXはある意味で貴重なプロトタイプ機だったのかもしれません。

中学3年以降ゲームから遠ざかっていた頃も、SONYのゲーム機が爆発的に売れているという事実だけは知っていました。

ただ、その時の私にはSONYを祝福する気持ちよりも、”え? MSXは? HIT BITはどうなったの?”という気持ちが先に立ち、裏切られたような複雑な気持ちを抱いたことを覚えています。

*HIT BIT – SONYのMSX事業でのブランド名

P.S.
今回、懐かしのMSXを振り返ってみて、改めて当時の存在が特殊なものであったと思います。私にとってのMSXはメディアアートの原体験をもたらしてくれた、生涯忘れることのない大切な存在です。

果たして今後、MSXのような立ち位置のガジェットが誕生することはあるのでしょうか。限られた性能や機能だからこそ、使い勝手がよく工夫の余地が残されることもあると思います。

たとえば、見た目はタブレット端末そのものだが読書機能に特化しているからこそ使い勝手が良いKindleのように。

Kindle – Wikipedia

MSXはそれに加えて、ユーザーに”創造の糧”を与えてくれた本当に素晴らしいガジェットだったと思います。

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