自宅庭にて(eos60d ef85mm f1.8)
自宅庭にて(eos60d ef85mm f1.8)
Share on Facebook自宅にて 2012 夏(eos5d2 ef85mm f1.8)
表情の豊かなネコです。3枚とも同じ構図ですが
それぞれ表情が微妙に異なります。
自宅にて 2012 夏(eos5d2 ef85mm f1.8)
妙に悲しげな表情なのが気になります。
自宅にて 2012 夏(eos5d2 ef85mm f1.8)
見つめる先には何があるのでしょうか。
CAST:トラ
Share on Facebook新年早々気分が憂鬱なのでより憂鬱な気分に浸れる
雨の日の写真を掲載します。
かつては勝ち気でプラス思考の時代もありましたが
今では立派にマイナス思考の性格になりました(笑)
自宅にて 2012 秋(eos7d tamron 60mm f2)
自宅にて 2012 秋(eos7d ef85mm f1.8)
自宅にて 2012 秋(eos7d ef85mm f1.8)
自宅にて 2012 秋(eos7d sigma 30mm f1.4)
*Sigma 30mm F1.4 EX DC HSM – Photohito
私がカメラレンズとして購入した最初の1本です。
メゾン松原の緑地環境
メゾン松原の建物周囲には沢山の植木が植えられていますので、晴れの日だけでなく雨の日も”雨の日ならではの自然の風情”を感じることができます。
本降り手前の”しとしと”と降る”淑やか”な雨の中、緑地公園を散策するイメージを想像して下さい。独特のアンニュイな雰囲気の中で、やや憂鬱な気分に浸れると思います。
メゾン松原の緑地環境は、質・量ともにその域に達しようとしています(手前味噌な表現で申し訳ないです)
残念ながら、雨の日のメゾン松原の写真が手元に無いですが、季節の良い時期を見計らって撮影に臨みたいと思います。
緑地環境の詳細と写真はこちらをご覧下さい。
→「メゾン松原 緑地環境」
P.S.
そもそも”庭”とは、植物をメインに様々な造形を用いて人間が作り出した”空間芸術”です。
自然を模倣し、自然のエッセンスが抽出されてはいるものの、そこには作り手の何らかの意図が反映されている筈です。
そこから何を感じるかは勿論個人の自由ですが、作り手の意図を見抜くという視点をもってその空間に立った時、絵画の鑑賞と同じくまた違った味わいを感じることが出来るかもしれません。
Share on Facebook今年は戦後70年、1.17から20年の節目の年。
タイトル通りの平穏な1年になることを祈ります。
自宅にて 2012 秋(eos7d ef85mm f1.8)
サザンではありませんが、多くの人が自分にとっての都合の良い解釈でしか物事を見れなくなっている今日この頃です。自分にとっても、他人ごとではなく反省する部分はあります。
大事なことは、他者の考え方や立場を相対的な視点の中で見つめ、その上で相手を認めることではないでしょうか。
*「ピースとハイライト」- Wikipedia
自宅にて 2012 秋(eos7d ef85mm f1.8)
日本のような”平和な”国でも、差別や敵対心の火種は各所に存在します。”地方”に住むと自ずと実感しますが日本の行政のバランスやマスコミの情報発信の”偏り”は異常と断言できます。(”欺瞞”の他に現在の世相を表す言葉は見当たりません)
かつて神戸の方々がそうであったように、今そのことを最も痛切に感じているのは東北の方々なのかもしれません。
その偏りが相手の顔が見えない”彼岸”の事ともなれば、心の”タガ”が外れたとしても不思議なことではないと思います。
*平和 – Wikipedia
自宅にて 2012 秋(eos7d ef85mm f1.8)
定まった固定観念を覆すのにどれ程の努力と時間が必要なのか誰にも判らないのではないでしょうか。
大事なことは、相手を知る努力を心掛けることだと思います。
(双方向でなければやがて最悪のジレンマに陥るだけですが)
だからこそ、日本の外交は”対話”の姿勢を貫こうとしているのでしょうね。その精神すら伝わらないのが辛いところです。
*ジレンマ – Wikipedia
自宅にて 2012 秋(eos7d ef85mm f1.8)
新年早々から重い話になってしまいました。社会という枠組みの中に生きる我々ですが、日々の暮らしを守ること以外に私たち市井に生きる人間に出来ることはあるのでしょうか?
CAST:白い貴公子 通称”オレ”
P.S.
上記のWikipediaによると”平和”の定義は次のとおりです。
1.戦争や内戦で、社会が乱れていないこと
2.現実的には国家の抑止力が内外の脅威を抑止している状態
知りませんでした。特に2行目の説明には”目から鱗”です。何げなく使っている言葉も定義を検める必要がありそうです。社会科学も自然科学もその点では共通していて面白いです。
”広辞苑”や”新明解国語辞典”が改訂の度に注目を集める理由も”言葉の確かな定義”を知りたいという探究心があってこそなのかもしれませんね(全くの想像ですが)
*広辞苑 – Wikipedia
*新明解国語辞典 – Wikipedia
*Wikipedia – Wikipedia