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ご覧のカテゴリーは「コラム」です。

Wikipedia信者?

January 12th, 2015

前回記事のWikipediaについての補記です。

世界で最も影響力のあるメディアは、もう何年も前からBBCでもCNNでもなく、ましてNHKや朝日新聞でもなくtwitterとYouTubeとWikipediaかもしれないですね。

twitter – Wikipedia
YouTube – Wikipedia
Wikipedia – Wikipedia

中国のネットへの過剰と一見思われる反応やNHKの情報番組でのSNSの取り扱われ方などを見ているとSNSに疎い私にも自ずと実感させられます。

SNS – Wikipedia

wikipedia

WikipediaはSNSではなく、CMSであるWikiを利用した万人参加型の”ネット上の百科事典”ですが、その論文然とした情報の閲覧し易さからユーザーは世界中に相当数いると思います。

CMS – Wikipedia
Wiki – Wikipedia

もし重大な案件に於いて意図的に情報操作が行われたら既存の(プロの)マスコミやテキスト(歴史書等)も太刀打ちできないのではないでしょうか。

悪意を持った知識人が匿名において詳細な書き込みを行い多数の人間を悪しき方向に誘導する可能性すらあり得ます。その”知識人”が業界のトップランナーやあるいは”天才”であった場合、情報の是非を問うことすら危ぶまれます。

書籍や論文のような”批評の洗礼”を受ける過程はどれほど準備されているのでしょうか。

万人が参加できる(世界中の人間が査読できる)とはいえ世に出て一旦定まってしまった方向付けは、そうは簡単に変えることは出来ないことを考えると恐ろしい気もします。

査読 – Wikipedia

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ゲームとメディアアート

January 11th, 2015

前回記事でゲーム音楽に触れた流れのままにゲームそのものについても一筆記そうと思います。

私は今でもたまにゲームをするのですが、できればもう一度80年代のあの頃に体験した魂を揺さぶられるようなゲームに出会いたいと本気で思っています。

誰もがRPGを愛していた – 4Gamer.net

hydlide3

ビジュアルの質ばかりが注目されゲームの本質的な面白さが蔑ろにされていると言われて久しいですが、私も同意見です。

メディアアートと呼ばれる芸術分野がありますが、80年代はコンピューターゲームがその最先端だった時代だと思います。

故に自ずとゲーム業界に多彩な才能が集まったのでしょう。様々なアイディアに溢れたゲームの黎明期に子供時代を過ごした我々世代は本当に幸せでした。

メディアアート – Wikipedia
メディアアートの教科書 – 多摩美術大学
NHKデジスタ作品 – YouTube

shalom

携帯電話と同様ガラパゴス化してしまった感のある日本のゲーム業界ですが、国外にも日本式ゲームの愛好家がいることも確かです。

現在、世界で主流のゲームは欧米主導で映画のような超写実的なビジュアルを売りにしていますがゲームの魅力の本質はそこではないと私は思います。

現在の日本のゲーム業界は正直”マンネリ化”しています。かつての任天堂のように何らかのブレイクスルーが起こることを願っています。

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MSXとベンチャー精神

January 10th, 2015

前々回記事のMSXについての補記です。

80年代当時、世界のPCの主流は既にIBMのPC/AT互換機でしたが、国内では各メーカー特にNECが独自規格を貫き、日本だけが世界の奔流から取り残される状態となりました。

*PC/AT互換機 – 現在のWindowsパソコンです。
PC/AT互換機 – Wikipedia

当時既に世界的大企業だった松下電器とSONYがPCの本流に乗らず、敢えて亜流と思われるMSXの分野に参入したのも、その辺の複雑な事情があったのかもしれません。

そしてその事は、PC/AT互換機のOSであるDOS等、ソフト開発を主な業務としていたMicrosoftにも該当するかもしれません。実はMSXはMicrosoftが日本のアスキーと共同で提唱した新しいPCの規格名称です。

DOS – Wikipedia
アスキー – Wikipedia

いずれにせよ、松下もSONYもMicrosoftも世界的大企業でありながら”世の流れに一石投じてやろう”というベンチャー精神の下に集い、結実した結晶がMSXだと私は思います。

MSXのその後

MSXは学生の学習用PCとして販売数を伸ばし、社会への貢献という意味で成功したと思いますが、過度の低価格路線が仇となったのか興業的に振るわなかったようです。

ゲーム機としての側面ばかりが大きくなりはじめ、90年代に入ると急速に衰退しやがて消滅してしまいます。

ps1

SONYはその後1994年に家庭用ゲーム機Playstaionを発表、1996年にはWindows機のVAIOを発表します。コンシューマーゲームとPCの両分野において既存の牙城を瞬く間に崩し、世界の雄となったことは周知の通りです。

Playstaion – Wikipedia
VAIO – Wikipedia

世間の目には”さすがソニー”と映ったと思いますが、開発計画や販売戦略の陰には、MSXで培った成功あるいは苦い経験が大いに発揮されたのではないかと私は睨んでいます。

如何なる製品開発の過程にも完成前のプロトタイプ機が存在すると思いますが、SONYを含む様々な同業社にとってMSXはある意味で貴重なプロトタイプ機だったのかもしれません。

中学3年以降ゲームから遠ざかっていた頃も、SONYのゲーム機が爆発的に売れているという事実だけは知っていました。

ただ、その時の私にはSONYを祝福する気持ちよりも、”え? MSXは? HIT BITはどうなったの?”という気持ちが先に立ち、裏切られたような複雑な気持ちを抱いたことを覚えています。

*HIT BIT – SONYのMSX事業でのブランド名

P.S.
今回、懐かしのMSXを振り返ってみて、改めて当時の存在が特殊なものであったと思います。私にとってのMSXはメディアアートの原体験をもたらしてくれた、生涯忘れることのない大切な存在です。

果たして今後、MSXのような立ち位置のガジェットが誕生することはあるのでしょうか。限られた性能や機能だからこそ、使い勝手がよく工夫の余地が残されることもあると思います。

たとえば、見た目はタブレット端末そのものだが読書機能に特化しているからこそ使い勝手が良いKindleのように。

Kindle – Wikipedia

MSXはそれに加えて、ユーザーに”創造の糧”を与えてくれた本当に素晴らしいガジェットだったと思います。

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PCエンジン

January 10th, 2015

前回記事の”PCエンジン”についての補記です。

当時、日本のパソコン市場を牛耳っていたのがNECと富士通とSHARPです。中でもNECは圧倒的なシェアを誇るメーカーでした(当時、松下電器とSONYは本格PC分野には不参入)

*本格PC – 私の造語です。

そのNECが満を持して発表したのが家庭用ゲーム機のPCエンジンです。

pcengine

ゲーム機でありながらもPCメーカーの沽券を髣髴とさせる商品名なのは明らかです。パソコンの大御所がゲーム機を発売するということで反響は大きかったと記憶しています。今ではMicrosoftのXboxが同じ立ち位置になるでしょうか。

Xbox 360 – Wikipedia

PCエンジンで発表されたゲームについては、押切蓮介原作の漫画”ハイスコアガール”に当時の人気ゲームの数々が詳しく描かれています。

ハイスコアガール – Wikipedia

当時の子供たちのゲーム熱(ゲーム愛?)がかなりの熱量で描かれておりゲームに関心のある方は一読をお勧めします(ただ残念ながら現在休載中です)

また任天堂のバーチャルコンソールから往年のゲームをダウンロード購入することが可能です。

バーチャルコンソール – 任天堂

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シンセとゲーム音楽

January 10th, 2015

前回記事の”波形メモリ音源”についての補記です。

波形メモリ音源 – Wikipedia

ファミコン全盛期

私が子供の頃(80年代)は初代ファミコンの全盛期の頃で、当時の小学生の遊びといえば表でボール遊びをするか家でファミコンをするかのどちらかでした。しかし私の家にはファミコンは無く、肩身の狭い思いをしたものでした。

ファミリーコンピュータ – Wikipedia

famicon

MSXとの出会い

そんな私に転機が訪れたのが小学6年生の時です。

当時PC(まだマイコンと呼ばれていました)は非常に高価で、しかも何が出来るのかもよく解らず、全くの高嶺の花でした。

マイコン – Wikipedia

そんな中、松下電器とSONYから”MSX2”という非常に安価なパソコン(29,800円)が発売されました。私はこれに飛びつき当時の担任の先生にもお願いして、プログラミングの勉強もできるからと親を説得し、ついに買って貰ったのです。

MSX – Wikipedia
MSX30周年 – 週刊アスキーPLUS

親にねだって買って貰ったものとしては、一番嬉しかったのではないでしょうか。

因みに”親にねだる”という行為は一見すると幼稚で情けないようにも見えますが、大金を持たない子供にとって”自身の興味の本質的な部分を見つめる”という意味で、とても重要な経験だと思うのですが、如何でしょうか。

FS-A1 松下電器産業のMSX2マシン

fsa1

*写真は”週刊アスキーPLUS”より

MSXコミュニティ

ハードの性能は分かりやすい例として、ファミコンより上でスーファミよりやや劣るといったところでしょうか。

ですので、ファミコンしか持っていない周囲の友人たちに対して根拠のない優越感を感じたことを覚えています(笑)

当時一緒に遊んだ友人も同じMSXユーザーや”PCエンジン”等の所有者でファミコン非所持者でした。子供の頃というのは変なところでコミュニティが形成されるものです。

スーパーファミコン – Wikipedia
PCエンジン – Wikipedia

msx2

MSXとゲーム

このMSX2ですが、入手した小6から中2までの3年間で使い倒しました。

当時の愛読書のMSX Magazine(Mマガ)やMSX Fanへの投稿ゲームは入選作のプログラムが全文掲載されていて、片っ端から手入力でコピーして遊びました。

市販ゲームでは味わえない独特の世界観をもった作品も数多くあったと記憶しています。因みにプログラム言語はもちろんBASICです。

MSX Magazine – Wikipedia
MSX Fan – Wikipedia
BASIC – Wikipedia

msxmagazine

また、市販ゲームも購入して遊びました。

当時MSXのゲーム業界をリードしていたのが、まだ本社が神戸にあった頃のコナミでした。当時のコナミのゲームはアイデアに溢れ、本当に面白い作品が多かったと思います。

コナミ – Wikipedia

ゲーム音楽とシンセ

ここで漸くシンセの話に戻りますが、そのコナミのゲームからそれまで経験したことのない複雑なBGMや効果音が聞こえてきたのです。実はそれが上記の”波形メモリ音源”で作られた音楽だったのです。

当時中学生だった私の耳にも、”これは凄い!”と思わせる音で感激したのを覚えています。記憶を辿れば、上記の専門誌の誌面でも”コナミ独自の特殊な音源が使用されている云々”の記事を読んだように思います。

scc

SCC – Wikipedia

*上記の2誌は現在のゲーム雑誌の位置づけに近いと思いますが当時の私にとってはこの上のない教科書でした。

ゲームとの別れ

ただその時くらいからゲームからもMSXからも遠のきはじめ、当時はシンセの存在もよく知らず、その”凄い!”の背景にあるものを探究することはしませんでした。

自然と興味が薄れたこともあったのでしょうが、それ以上に中3になり高校生にもなってゲームなんて、という世間体のようなモノを意識した節もあったと思います。今思えば下らない枷を自らにはめたものだと後悔の念が募ります。

結局、当時の感動の謎が解けたのはシンセに興味を持ち始めたほんの数年前のことです。随分な時間が過ぎたものです。

もしあの時、もっと探究心があり自分の好きなモノに真摯に向き合うことが出来ていれば、また違った人生があったのかもしれないと思うと、今は少し残念で複雑な気持ちです。

ゲームに関心のない方は”何言ってるの?”と思われるでしょうが、ゲームで描かれる世界観とそこでの体験は、映画や小説や漫画では味わうことのない独特の魅力があるのです。

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