Home

見本帖

ギャラリー

スライドショウ

ブログ

Home

”見本帖”からの抜粋 その2

January 11th, 2015

屋外環境の充実

メゾン松原の屋外環境は今後も変わり続けます。

設備の新設・植栽のアレンジ・通路の美装化など
毎年一定の予算枠を設け複数の計画を予定しています。

入居者の方達には、ご自身の住処が美しく変化していく様子を
目の当たりにする楽しみを、感じて頂ければと考えています。

北側駐輪場 2014 (eos5d2 ef17-40mm)

北側駐輪場 2014 春(eos5d2 ef17-40mm)

建物周辺(北側) 2014 (eos5d2 ef17-40mm)

建物周辺(北側) 2014 (eos5d2 ef17-40mm)

来客用の駐車スペースもご用意しています。

お身内やご友人の方のご訪問の際には
管理人までお申し付け下さい。

建物周辺(北側) 2014 (eos5d2 ef17-40mm)

建物周辺(北側) 2014 (eos5d2 ef17-40mm)

物置 2014 (eos5d2 ef17-40mm)

物置 2014 (eos5d2 ef17-40mm)

建物周辺(西側)2014 秋 (eos5d2 ef24-105mm)

建物周辺(西側)2014 秋 (eos5d2 ef24-105mm)

緑地環境の歩み

メゾン松原は1986年の竣工ですが
当初から現在の緑地環境が整備されていた訳ではありません。

植木の成長や隣接する住宅環境の変化などにも応じて
植栽デザインを大小に渡って見直してきました。

現在の姿は数々の変化を経た最新のものです。

建物周辺(西側)2014 秋 (eos5d2 ef24-105mm)

建物周辺(西側)2014 秋 (eos5d2 ef24-105mm)

建物周辺(西側)2014 秋 (eos5d2 ef24-105mm)

建物周辺(西側)2014 秋 (eos5d2 ef24-105mm)

メゾン松原 屋外照明

植込部分と屋外設備に照明(電球色)を多数設置しています。

①死角を無くし防犯効果を高める
②適度な明るさを保つ
”緑地公園の夜景”としての美観を再現する
④日中も景観の邪魔にならない

以上を念頭において照明を配置しています。

pb270025_3

夜景(南西部)2006(Olympus μ-10D)

Share on Facebook

ゲームとメディアアート

January 11th, 2015

前回記事でゲーム音楽に触れた流れのままにゲームそのものについても一筆記そうと思います。

私は今でもたまにゲームをするのですが、できればもう一度80年代のあの頃に体験した魂を揺さぶられるようなゲームに出会いたいと本気で思っています。

誰もがRPGを愛していた – 4Gamer.net

hydlide3

ビジュアルの質ばかりが注目されゲームの本質的な面白さが蔑ろにされていると言われて久しいですが、私も同意見です。

メディアアートと呼ばれる芸術分野がありますが、80年代はコンピューターゲームがその最先端だった時代だと思います。

故に自ずとゲーム業界に多彩な才能が集まったのでしょう。様々なアイディアに溢れたゲームの黎明期に子供時代を過ごした我々世代は本当に幸せでした。

メディアアート – Wikipedia
メディアアートの教科書 – 多摩美術大学
NHKデジスタ作品 – YouTube

shalom

携帯電話と同様ガラパゴス化してしまった感のある日本のゲーム業界ですが、国外にも日本式ゲームの愛好家がいることも確かです。

現在、世界で主流のゲームは欧米主導で映画のような超写実的なビジュアルを売りにしていますがゲームの魅力の本質はそこではないと私は思います。

現在の日本のゲーム業界は正直”マンネリ化”しています。かつての任天堂のように何らかのブレイクスルーが起こることを願っています。

Share on Facebook

楽器としてのシンセ

January 11th, 2015

シンセを紹介するシリーズ

第2回目もmicroKORG関連の動画を紹介します。

私にとってシンセサイザーという”楽器”には特別の想いがあります。それは80年代に子供時代を過ごした多くの人にとっても同じではないでしょうか。

何故か?

それは80年代がポップミュージックや映画音楽やゲーム音楽など様々な音楽シーンでシンセの音色が楽器として使われはじめた最初の時代であることと関連します。

YMOや喜多郎やヴァンゲリスなど、恐らく当時の誰もがシンセの表現力に度肝を抜かれたのではないでしょうか。そしてそれらの音楽は当時、小学生や中学生だった我々世代にとって生まれて初めて耳にする音楽でもあります。

喜多郎 – Wikipedia
ヴァンゲリス – Wikipedia

我々世代はある意味でコンピューターゲームの申し子です。私の親の世代が冒険小説やファンタジー小説で空想の世界を旅したように、我々にとってはゲームが冒険の舞台でした。

そしてそのBGMに使われていたのがアナログ音源やFM音源などのシンセで作られた音楽です。

シンセの音色を聞くと時々たまらなく懐かしい気持ちになることがあります。それはきっと子供の頃の記憶が原体験となっている為なのかもしれません。

*アナログ音源、FM音源 – 当時はハード(PC、ゲーム機)の性能やメモリ容量が貧弱な為、現在のようなPCM音源は使えませんでした。限られた環境でもそれなりに音楽として聞こえる音源としてアナログ音源やFM音源が採用されたのでしょう。

FM音源 – Wikipedia
PCM音源 – Wikipedia
デジタルシンセサイザー – Wikipedia

最後に、30年程前に私が最もゲーム世界に夢見ていた頃のゲーム音楽のイメージに近い動画を紹介します。主にRPGと呼ばれるジャンルのゲームで、あの頃確かに私は小さなモニターの中から広大な世界を旅していたと思います。

ゲームミュージック – Wikipedia
Video game music – Wikipedia
ロールプレイングゲーム – Wikipedia

P.S.
記事の中で、一見アナログ音源やFM音源がその他の音源に劣るような書き方をしていますが、そんなことはありません。アナログであろうとデジタルであろうと最早シンセサイザーは立派に”楽器”としての地位を確立しています。

私にとってシンセは楽器の名においてピアノやバイオリン等の生楽器と同等の表現力をもっていると認識しています。

シンセサイザー – Wikipedia

Share on Facebook

”見本帖”からの抜粋 その1

January 10th, 2015

エクステリアタイトル01

メゾン松原の屋外環境には大きな特徴があります。
優れた建築物や公園、街角に突如現れる見事な庭。

有名無名の先輩達の知恵を少しずつ拝借しながら
メゾン松原の屋外環境は現在の姿に漸くたどり着
いたところです。

メゾン松原 外観 2014 秋 (eos 5d2 ef24-105mm)

メゾン松原 外観 2014 秋(eos 5d2 ef24-105mm)

メゾン松原 外観 2014 秋 (eos 5d2 ef24-105mm)

メゾン松原 外観 2014 秋 (eos 5d2 ef24-105mm)

メゾン松原 屋外環境の特徴

閑静な住宅街の中に立地し
建物周囲には全体を取り囲む緑地帯を設けています。

公道から30m以上離れ、
非常に静かな環境を実現しています。

メゾン松原 俯瞰図

緑地公園や雑木林などの”緑の環境”を再現し
豊かな生活空間を演出することを目指しています。

メゾン松原 東側 2014 秋(eos5d2 ef24-105mm + Toycamera Analogcolor)

メゾン松原 東側 2014 秋(eos5d2 ef24-105mm)

建物周辺(東側)2014 秋(eos5d2 ef24-105mm + Toycamera Analogcolor)

建物周辺(東側)2014 秋(eos5d2 ef24-105mm)

建物周囲のゆとりの空間

建物周囲に約4m幅の通路を設けています。

周囲の民家まで距離を確保することで空間にゆとりが生じ、
(建物→通路→緑地帯→民家)干渉されることもありません。

車両の通行は制限していますので
小さなお子さんを安心して遊ばせることができます。

建物周辺(北西部) 2014 (eos5d2 ef17-40mm)

建物周辺(北西部) 2014 (eos5d2 ef17-40mm)

メゾン松原 東側 2014 秋(eos5d2 ef24-105mm + Toycamera Analogcolor)

メゾン松原 東側 2014 秋(eos5d2 ef24-105mm)

"建物周辺(北側)2014 秋(eos5d2 ef24-105mm + Toycamera Analogcolor)

建物周辺(北側)2014 秋(eos5d2 ef24-105mm)

Share on Facebook

MSXとベンチャー精神

January 10th, 2015

前々回記事のMSXについての補記です。

80年代当時、世界のPCの主流は既にIBMのPC/AT互換機でしたが、国内では各メーカー特にNECが独自規格を貫き、日本だけが世界の奔流から取り残される状態となりました。

*PC/AT互換機 – 現在のWindowsパソコンです。
PC/AT互換機 – Wikipedia

当時既に世界的大企業だった松下電器とSONYがPCの本流に乗らず、敢えて亜流と思われるMSXの分野に参入したのも、その辺の複雑な事情があったのかもしれません。

そしてその事は、PC/AT互換機のOSであるDOS等、ソフト開発を主な業務としていたMicrosoftにも該当するかもしれません。実はMSXはMicrosoftが日本のアスキーと共同で提唱した新しいPCの規格名称です。

DOS – Wikipedia
アスキー – Wikipedia

いずれにせよ、松下もSONYもMicrosoftも世界的大企業でありながら”世の流れに一石投じてやろう”というベンチャー精神の下に集い、結実した結晶がMSXだと私は思います。

MSXのその後

MSXは学生の学習用PCとして販売数を伸ばし、社会への貢献という意味で成功したと思いますが、過度の低価格路線が仇となったのか興業的に振るわなかったようです。

ゲーム機としての側面ばかりが大きくなりはじめ、90年代に入ると急速に衰退しやがて消滅してしまいます。

ps1

SONYはその後1994年に家庭用ゲーム機Playstaionを発表、1996年にはWindows機のVAIOを発表します。コンシューマーゲームとPCの両分野において既存の牙城を瞬く間に崩し、世界の雄となったことは周知の通りです。

Playstaion – Wikipedia
VAIO – Wikipedia

世間の目には”さすがソニー”と映ったと思いますが、開発計画や販売戦略の陰には、MSXで培った成功あるいは苦い経験が大いに発揮されたのではないかと私は睨んでいます。

如何なる製品開発の過程にも完成前のプロトタイプ機が存在すると思いますが、SONYを含む様々な同業社にとってMSXはある意味で貴重なプロトタイプ機だったのかもしれません。

中学3年以降ゲームから遠ざかっていた頃も、SONYのゲーム機が爆発的に売れているという事実だけは知っていました。

ただ、その時の私にはSONYを祝福する気持ちよりも、”え? MSXは? HIT BITはどうなったの?”という気持ちが先に立ち、裏切られたような複雑な気持ちを抱いたことを覚えています。

*HIT BIT – SONYのMSX事業でのブランド名

P.S.
今回、懐かしのMSXを振り返ってみて、改めて当時の存在が特殊なものであったと思います。私にとってのMSXはメディアアートの原体験をもたらしてくれた、生涯忘れることのない大切な存在です。

果たして今後、MSXのような立ち位置のガジェットが誕生することはあるのでしょうか。限られた性能や機能だからこそ、使い勝手がよく工夫の余地が残されることもあると思います。

たとえば、見た目はタブレット端末そのものだが読書機能に特化しているからこそ使い勝手が良いKindleのように。

Kindle – Wikipedia

MSXはそれに加えて、ユーザーに”創造の糧”を与えてくれた本当に素晴らしいガジェットだったと思います。

Share on Facebook

Home

Home

Home